イオンファンタジーのエデュテイメント
インタビュー
2021.03.10 UP
卒園式の定番ソング「みんなともだち」や、おいもの暮らしぶりが描かれたユニークなお話『さつまのおいも』など、多くの童謡、絵本を手掛けている中川ひろたか先生。日本初の男性保育士として保育園に勤務したあと、シンガーソングライター、絵本作家へと転身しました。これまでにつくった歌は2,600曲。絵本はなんと270冊にものぼるそう!
そんな中川先生に、子どもに注目するようになったきっかけ、関わり方のコツ、イオンファンタジーとコラボレーションして制作した、あそびまなびBOOK『いいことみーっけ!』に対する思いなど、幅広いお話をお聞きしました。
1954年、埼玉県生まれ。シンガーソングライター、絵本作家。上智大学法学部中退後、千早子どもの家保育園に約5年間勤務。在職中に資格を取り、日本初の男性保育士になった。1987年、みんなのバンド「トラや帽子店」を結成、リーダーとして活躍。「世界中のこどもたちが」「にじ」「みんなともだち」など、多くの子どもたちに親しまれる楽曲を生み出す。1995年『さつまのおいも』(童心社)で絵本作家デビュー。2005年、『ないた』(金の星社)で第10回日本絵本賞大賞を受賞。2019年、バンド「ヒネるズ」結成。2020年、YouTube『見えるラジオ』開始。
ぼくには、歳の離れたいとこがいて、お正月とかに家にやってきていたの。
その子たちと散歩に出かけたりするといつもジャンプしてる。スキップする。大きな声で歌をうたう。
マンホールの小さい穴に小石を入れる。すぐ泣く。すぐ泣き止む。
そのとき、子どもってなんだろうと思った。
大人は、こうはしない。いつからこうじゃなくなったんだろう。
ぼくも、かつてはこうだったはずだ。
歳を重ねて、いろんな社会性とかを身につけてひとは、大人になっていくんだけど、でも人間の本質は、むしろ、子どものところにあるんだろうと考えたのね。で、ぼくは、むしょうに、子どもに会いたくなった。
子ども関係の雑誌にあった「子どもの遊び研究所」というところに行ってみたらそこの所長さんが、ある保育園で男性保育士を探してるっていう。ぼくはすぐに志願してそこの保育士になったんだけど、その頃は「保育は女子に限る」という法律があって、ぼくは「用務員」として採用。翌年、男も国家試験を受験できるようになって、その年合格。日本で最初の「男性保育士」となりました。
そう、ずっと観察者みたいな態度でいたんだけど、そんな態度じゃ、子どもは、寄ってこないし、全然見えてこない。
ある時、砂場でトンネルを作ろうとしている子がいたの。でも、すぐに崩れちゃうわけ。子どもの頃からぼくは、トンネル作りの名手でね。こうやるんだよと教えてあげた。砂を盛って、パンパン固めて、また砂を盛って、固めてを繰り返した後、トンネルを掘る。向こうから子どもが、こっちからぼくが掘り進んでいく。で、ちょうど真ん中あたりで指先が触れる。で、めでたく開通!これは、とっても象徴的な「事件」でしたね。こうやって、思いっきり子どもになって遊ぶことで、はじめて子どもと「握手」できた。それからは、もう、人間の本質なんてどうでもいいやって、あそぶことに専念するようになりました。
保育の現場で学んだことは、「大人が子どもになって一緒に遊ばないとダメ」だということ。「子どものところまで目線を下げる」とか「子どもになったつもりになる」とか、ましてや「観察するぞ」なんて思っていたら見えるものも見えなくなってしまう。本気で僕らが3歳児とか4歳児に“なる”ことが大事なんだよね。そうやって、一緒に楽しみ、一緒にワクワクしていれば、子どもは素晴らしい世界を見せてくれますから。なんでも「同じ気持ちで一緒にやる」ってことが大事だと思うね。
子どもの頃から、歌は好きでしたね。
早くからテレビが家にあって、歌番組とお笑い番組は欠かさず見てました。
でも一番は、ビートルズですね。もう、夢中になって、日本でビートルズが知られるようになった年の学芸会でビートルズやりましたもん。たぶん、日本一早かったんじゃないかなぁ。
いつか「ぼくはビートルズみたいになる」って勝手に思ってましたね。
その頃かなぁ、学校の帰り道「きょうは、ぼくの知らない歌を歌って帰ろう」って決めててきとうなメロディを歌うっていう遊びをしていたんだけど、これって実は「作曲」なわけよ。
作曲は、すべてが発明ですから。知ってるメロディじゃ、盗作だからね。
詞は、書かなかった。でも、詞がかけそうな人を見つけては「詞、書いてよ」って頼んだりしてた。今でも、それは、変わらずやっていて、作曲家の一番の仕事は、いい作詞家を見つけることだと思ってるよ。
中学2年あたりから、ラジオの深夜放送を聴き始めて、ある番組にだじゃれを投稿したらそれが読まれてね。翌日学校で大ヒーローさ。その時「だじゃれで食っていきたい」と本気で思ったもんね。いま、半分くらい、その夢が叶ってますけど。
あとね、ヒット曲の放送回数を調べて、独自のチャートを作って友だちに配ってましたもん。おかげで、成績はガタ落ちでしたけど。
でも、その頃から、今も、あまり変わってないね。
全部が、血となり肉となってる感じね。
保育園に童話を書く先生がいたの。湯浅とんぼさんっていうんだけど、その人にね。例によって「詞、書きませんか?」って言ったら、たくさん書いてくれて片っ端から曲をつけていったら、とんぼさん喜んでね。じゃんじゃん作るようになって、いっぱい溜まったから、自費で楽譜集を作ることになった。ある保育集会でそれを販売したら飛ぶように売れて、それを買った地方の人たちから、講演の依頼が入るようになったのね。
当時、わずかな有給休暇しかなくて、それを超えるオファーが来るようになってやっぱり、自分で作った歌を歌って、ギャラがもらえるなんて、ほら、ビートルズになろうとしてたからね。
自然と、そっちのほうに行っちゃった。
やっぱり、歌いやすいこと。そのためには、なるべくシンプルにすること。
音域を広げない。それから、言葉のイントネーションにも気をつけてますね。
そこをおろそかにすると、言葉が伝わりにくい。
曲は、言葉を届けるための道具と思ってるのね。いかに、よく、言葉が伝えられるかを心がけています。
絵本でもそうだけど、やっぱり、子どもたちに喜んでもらいたい。
よく、子どもたち「もっかい」って言うでしょ。もう一回って。
おかわりよね。ごはんつくったら、おかわりしてもらいたいじゃない。
歌も、絵本もぼくにとってはごちそうなのね。
歌い終わった後、読み終わった後に「もっかい」って言ってもらったら
一番うれしいですね。
じつは、ぼくね、わりと簡単に赤ちゃんになれちゃうんです。3歳児にも4歳児にもすぐなれる。そういう、「3歳児のぼく」が、本気で楽しんで、音を選んだり、言葉を探したりすれば、それは本当の3歳児にも届くと、そこは、けっこう信じていますね。
はじめ、イオンファンタジーさんの「あそびまなび」という言葉を聞いて、すごくいいと思ったんです。
子どもたちにとって、あそぶことはまなぶことなんですね。
あそぶことでまなんでいける。
子どもにとって「描く」ことはあそびです。
そこに、ちいさな「課題」を添えてみたのが、この『いいことみーっけ!」です。
ふだん、見過ごしてるものに着目してみましょう。
ふだんなにげなく見ていたものに意外な模様がついていたり、こんな形していたんだとか、楽しい発見があるはず。
少しむずかしいところも出てくるかもしれませんが、そこは、お父さん、お母さんも「いっしょに」考えて、手伝ってあげてください。「ほら、こんなふうになってるよ」とか声をかけてあげてください。このノートを通して、親と子がもっと仲良くなってもらえたらうれしいです。
子育てで一番大事なのは「いっしょ」っていうこと。
いっしょにおふろにはいる。
いっしょにごはんをたべる。
いっしょにテレビを見る。
なるべく、いっしょにすごすこと。
「いいことみーっけ!」というのは、なにが「みーっけ」なのかというと実は、いい親子関係がみつかるのです。
お子さんが大きくなった時、成人式、結婚式、子どもができたときにこのノートを見せてあげてください。このノートにはたくさんの「愛」がつまってるはず。大事に育てられてきたという記憶は、どんな困難にも立ち向かえる「力」になるとぼくは、信じています。
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