イオンファンタジーのエデュテイメント
対談 インタビュー
2021.07.08 UP
ゲーム開発の経験を活かしてゲームデザインを大学で教えてきた岸本好弘氏は、授業そのものにゲームの要素を取り入れて、生徒たちが面白い!と感じる授業を行ってきました。このような、ゲームの要素を学校の授業などゲーム以外のことに応用することをゲーミフィケーションといいます。
今回は、教育者としてゲーミフィケーションの有用性を説く岸本氏と、ゲーム学習論・教育工学を専門に教鞭をとられている藤本徹氏の対談をお届けします。
お二人に共通するのは、ゲーミフィケーションを授業に取り入れたら、まなびはもっと楽しいものになる!ということ。人を夢中にさせるゲーム開発についてや、ワクワクしながら学ぶことの大切さなどが語られました。
全2回の前編では、岸本氏がゲームクリエイターとしてヒット作を生み出した経緯や、「人に楽しんでもらうための本質とは何か?」を語りあっていただきました。
聞き手(写真左):
東京大学大学院 情報学環 准教授 藤本 徹(ふじもと とおる)氏
博士(Ph.D in Instructional Systems)専門:ゲーム学習論、教育工学。著書に「シリアスゲーム」(東京電機大学出版局)、「ゲームと教育・学習」(共編著・ミネルヴァ書房)、訳書に「テレビゲーム教育論」(東京電機大学出版局)、「幸せな未来は「ゲーム」が創る」(早川書房)など。
ゲームを通じて子どもの能力を育てるオンラインゲームスクール「ゲームカレッジLv99」の監修も行う。
話し手(写真右):
一般社団法人 日本ゲーミフィケーション協会 代表理事 岸本好弘(きしもと よしひろ)氏
日本ゲーミフィケーション協会の代表理事であり、代表賢者Lv98。およそ30年にわたり、ナムコ、コーエーにて、ゲームクリエイターとして有名ゲーム開発を手がけ、「ファミスタの父」とも呼ばれる。その後、東京工科大学メディア学部にてゲーミフィケーション、ゲームデザインを教える。2019年、日本ゲーミフィケーション協会を立上げ、数々の取材で得た知見を集める。著書「ゲームはこうしてできている」。好きな食べものはオムライス。
写真中央は日本ゲーミフィケーション協会の講義でも活躍するオリジナルキャラクター「きっしーぐま」。
藤本 まずは岸本先生のプロフィールを交えてお話しください。岸本先生は東京工科大学で学生にゲームデザインを教えていらっしゃいました。ご自身の授業にゲーミフィケーションを取り入れていたそうですが、きっかけは何だったのですか?
岸本 私が指導してきた生徒の中には将来ゲームクリエイターになりたくてゼミでノウハウを一生懸命学びたいという学生もいれば、ゲームがテーマだから面白そう、単位がとりやすそう、といった理由で気軽に講義を聞きにくる学生もいました。学びに対する積極性は学生によってバラバラで、大教室で行うような講義だと、居眠りしたり内職したりするような学生もいるのです。そこで、私がこれまでずっと行ってきたゲームデザインの理論を使って、生徒たちみんなが授業に夢中になってくれる方法はないかと考えたのがゲーミフィケーションを授業に取り入れたきっかけです。ゲーミフィケーションの6要素を軸に、授業にゲームっぽい「しかけ」を取り入れていったのです。
そうすると寝ていた生徒は「あれ、この授業楽しそうだな」と起きてくる。内職していた生徒は「あ、なんか面白そう」と手を止めてこちらを見る、といった様子に変わってきたんです。
藤本 具体的にどんなことを行ったのですか?
岸本 先生と生徒ができるだけインタラクティブになるという要素を取り入れました。ゲームってマンガや映画、アニメと違って自分で関わらないと話が先に進まないですよね。プレイヤーが主人公になって、ボタンとレバーを操作しないと先に進まない。私がゲームのすごいと思うところは、プレイヤーが行った操作に対してリアクションがあること。たとえば、自分で操作して道具屋に入ったらいいモノが買えたり、村人に話しかけたら有力な情報を入手できたり、と自分がアクションすることで、フィードバックが来ることなんです。
だから、生徒に「これは〇ですか?×ですか?」と聞いたりしながら、生徒にフィードバックが来るような形で授業を進めるようにしたのです。あと、つまらなかったらそう言って、と言いました。「先生、この講義クソゲーだよ!」って言ってと(笑)。生徒たちに架空のボタンとレバーを持ってもらい、ゲームのように能動的に参加したくなるようにしていきました。
藤本 岸本先生と言えば1986年の初代「ファミスタ」※の開発者として知られています。「ファミスタ」は単なるリアルな野球ゲームではなくて、野球ゲームとしてリアルな部分と演出の部分とのメリハリがあり、リアルに楽しいだけでなく独自の演出にも面白さがありました。それが大ヒットの要因かなと思いましたが、どんな野球ゲームにしようと考えて開発したのですか?
※「プロ野球ファミリースタジアム」(1986年発売)のこと
岸本 当時、私が勤めていた開発・発売元のナムコはアクションゲームが得意な会社でした。私も普通の野球シミュレーションゲームを作りたかったのではなく、“野球みたいな”アクションゲームを作りたかった。アクションゲームに誰もがルールを知っている野球を取り入れれば、プレイヤーみんなが感情移入しやすい。当時は実在する球団名は登場せず、似たような名称を使い、そこにパラメーターを入れました。みんなが知っているあの選手っぽい名前の選手はホームランをよく打つ、足が速い、球が速い、変化球が得意だ、といった要素を入れたんです。
最近の野球ゲームはシミュレーションゲームで、選手データに基づいてよりリアルなものに近づけていますよね。「ファミスタ」は野球のルールに沿っているけれど、アクションゲームとして面白いかどうか、友だちや兄弟で戦って楽しめるかどうかということを軸に考えてつくっています。だから、あえて今も「野球アクションゲーム」を名乗っているのですよ。
藤本 当時の「ファミスタ」はバントでホームランが打てたり、フォークボールは打てなかったり、いろんな演出がありました(笑)。今もそうした世界観を踏襲しているということなのですね。
岸本 現実にはあり得ないようなプレイがありますよね、とはよく言われます。でも、これはゲームですから「こういう選手がいたら面白い!」「こんなプレイがあったら盛り上がるだろう」ってゲームだからできることをたくさん盛り込んだのです。ゲームっていうのは夢を実現するところであって、リアルに近づけるのがいいわけではない。私のように古いゲームクリエイターは、あのドット絵を見ながらプレイヤーが頭の中で勝手にリアルなイメージを描くというのがゲームの本質だと思っているんです。ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさなんだと思っています。
藤本 ゲーム制作をしてきた中でヒットしたもの、そうでなかったものもあると思います。開発者人生の中で印象に残っている工夫はありますか?
岸本 「ファミスタ」は、私がその前に携わっていたアーケードゲームの開発が終わり、上司に何をしようかと相談したら「今のところ仕事がないから、好きにしていていいよ」と言われて作った作品です。「じゃあ、ファミコンで野球ゲームを作ってもいいですか?」と尋ねたらすぐに「いいよ」と。
ただ、「好きにしていていいよ」って言うことは他の人は巻き込めないということ(笑)。頭の中に企画はあったので、最初は一人でコツコツと作っていました。当時の上司は「ファミスタを岸本に作らせたのは俺だ」(笑)って言っていますけど、それは当たっているんですよね。それまで二人でずっと他社の野球ゲームをしていて、「何でここで外野手が動かせないんだ!」とか言いながらプレイしていたんです。「だったら動くようにつくればいいんじゃない」と言われたのが「ファミスタ」の制作に取り組んだきっかけです。
そんな不満から生まれたアイデアが画面の使い方。「ファミスタ」の画面はピッチャーとバッター、1塁、3塁と3つに区切ってあり、1塁からランナーがスタートすると途中で消えるという、よく考えたら現実としてはよくわからない画面の使い方(笑)。でも、いろいろな会社の野球ゲームをプレイしてみながら、考え抜いたレイアウトなんです。
藤本 「ファミスタ」はもちろん、ヒット作には楽しいと感じる要素がたくさんあります。アイデアはどういうところから出てくるのですか?
岸本 これは感覚ですね。自分でプレイしているイメージをして、「これは面白い!」、「これはつまらない!」と。今だったら理論的に説明しないといけないのですけれど、当時はそういった理論みたいなものはなかったですからね。とはいえ、私が開発に携わっていたアーケードゲームの場合、ビジネスのポイントはいかに多くプレイしてもらえるかです。最初から難易度を上げればいいと思うかもしれないけれど、それだと初めてやってみたプレイヤーはすぐゲームオーバーになってしまう。すぐに終わってしまったらつまらないからもう遊んでくれない。
そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作することを特に大事にしていました。これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。
藤本 アーケードゲームやファミコンの初期のころ、既にプレイヤーの気持ちを考えたデザインをブラッシュアップしていたのですね。現代は予算をかけてグラフィックをきれいにしたり、いろんなコンテンツのイラストを増やすといったことに力を入れていますが、プレイヤーにとっての根本的な面白さはその当時に確立されていたんですね。
岸本 そうですね。ただ、さっき触れたようにはっきりと言語化されていなくて、職人技みたいなものでした。ナムコには先輩が作ったゲームを見て学ぶような企業文化があり、言葉で教わったことはなかったですね。
藤本 属人的なノウハウをだんだん理論化して共有しよう、もっと活かしていこうというのはこの20年ぐらいですね。2000年代になって、岸本先生が教えていた東京工科大学メディア学部で4年制のカリキュラムができるなどして、だんだんとテキスト化して言語で伝承していくようになりました。
岸本 学校で教えるということはポイントだったと思います。昔はゲーム専門学校なんてなかったですからね。学校で教えようなんて誰も思っていないことでした。大学で教える立場になって、そのときに考えたのです。自分のノウハウを生徒に伝えるには、ちゃんと理論化して言葉にしないとダメだと。
藤本 こうして教育する場ができてきたのもゲームが産業として非常に大きくなった影響だと思います。ただし、ゲームを作り込むというのは理論だけでは難しい。ヒット作は理論だけではできないと思います。
岸本 ゲーム制作の理論を知っていれば、ある程度面白いゲームはみんな作れます。ただ、プロにはそこからの上乗せがある。自分ならではの何かをプラスするのがプロの仕事。つまり面白いゲームを作れるかどうかの違いですね。
■後編(2021年7月15日公開)に続く
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